東大大学院中退の戯言

院生だった当時に気持ちを吐き出すためにこのブログを開設しました。自称うつ病で中退しましたが、なんとか生きてます。

自宅で何もできないので試行錯誤したこと

前回の記事でも書いたが、自宅では生活面全てにおいて病的になにもできなくなってしまう。
風呂は入れなくなるし、飯は食べなくなる。自尊心は地に堕ちる。

それらの対策のために試行錯誤してきたことを書いていく。色々変わろうとしたんだよってことを伝えたい。
頭ではダメだとわかっていて体が言うことを聞かない感じなので、無理にでも動かないといけない状況を自分で作るようにしているということだ。

家からできるだけ離れるために

とにかく家にいるのがダメだというのは自分でもわかっているので、
なるべく家から離れる努力をしている。

電気をつけたまま寝る

起き上がれないのは起きられないからだと思った自分は、寝すぎない対策をしようとした。それは電気をつけたまま寝ることだった。こうすれば寝すぎてしまうことを防げるからだ。実際、眠りが浅くなって早く起きることができる。
でも問題は寝すぎてしまう事でなくて起き上がれないことだったので意味なかった。

漫画喫茶で寝泊まりする

漫画喫茶では時間制限があるのでずっと横になってダラダラしてるわけにはいかない。
それに人の目がある環境だと幾分かましになる。
家にいて動けなさ過ぎてまずいなと感じたときはこの方法を使っている。
ただお金がかかるので頻繁には使えない。

カフェなどで作業する

今でも続けている方法。
というか実家にいた高校生のころから自室では勉強できないタイプだったのでこれは関係ないかもしれない。それが酷くなっただけ。
人の目がある中で作業すると少しマシになる。パソコンの電源を付けるのはめんどうくさくなくなるし、ご飯を食べるのだって自然にできるようになる。ただ研究に関することになるとやはり集中できなくなってしまう。それでも自室にいるよりかはましだ。
家ではスマホを弄ってしまうけど、本当にやりたいことというわけではないのでスマホもあんまり触らなくなる。
本当は研究室でやるのがいいんだろうけど、今は行けていない。

外食する

家にいるとカップ麺があっても食べない、お菓子しか食べない、という状況になるので、外に出たときは家に帰る前に外食するようにしている。
外食ではたくさん食べる機会なのであまりケチらないようにしている。

銭湯か漫画喫茶のシャワーに行く

お風呂に入れなくなるというのは辛いので、どうしてもだめだなと感じたときは銭湯に行くようにしている。

自尊心を保つために

バイトをする

上記のように何かとお金を使うようになってしまうのでバイトをしている。
というか今はバイトが生活の中心になっている。
おかげで自尊心を保てているし、人として生きていけている。
バイト先では学業が忙しいということにしているが、実際たいして研究できていないので負い目を感じている。
バイトもせず真面目に研究室に通っていた頃で限界を感じていた時は、ほんのささいなスイッチで悲しくなり涙が出てくることがあったが、研究から離れた最近はそんなことはない。

資格試験の勉強をする

大学院1年生のころ実は自分は凄く頭が悪くてダメ人間じゃないかと思い始めたことがあった。
その頃はここまで研究に手が付かない状態ではなかったけれど、研究から逃げたさもあったため資格試験に挑むことにした。
3か月くらい勉強して、直前の1か月はほとんど研究していなかった。
問題はなにも解決することはないけど、自尊心を保つ手助けにはなったし、良い気晴らしになったと思う。

鬱になってからおかしくなったこと

鬱になっておかしくなったであろうことを記録していく。
もしかしたら元来の怠け癖からのものかもしれないし、そうじゃないかもしれない。わからない。
数年後に見返して懐かしくなっているかもしれないし、治っていないかもしれない。

病的にやる気が起きない

研究に関しては本当に集中力が無くなってしまった。考え始めると10分足らずでソワソワしてくる。考えが散乱する。ただ勉強が嫌になったわけではなくて、研究とは関係ない勉強をすると筆が進んだりする。
イメージで言うと、研究しようというスイッチを入れると同時に不安や焦燥が襲いかかり耐えられなくなってしまう感じだ。
それだけならまだしも、いつからか生活面でもアクションを起こすのができなくなってしまった。
特徴としては家の中にいるとダメになるけど、外では普通に生活できるというのがある。自分でもなぜだかわからない。ただの怠け癖が病的になった感じだ。

起き上がれない & 家から出られない

布団から起き上がれない。頭では起きなくてはいけないと思っても体が横になりたがる。トイレに行くのもちょっとしんどい。
朝起きるのがつらいとかそんなレベルじゃない。1日中横になっている。
横になって何をしているかというと、スマホを弄ってる。Youtubeを見ながら面白くないなと思ったりスマホゲームをしたりしている。Youtubeやゲームが特別面白いわけではなくて、頭を空にできればなんでもいいんだと思う。
酷い時にはつまんないな辞めたいなと思いながらもゲームをしている。客観的に見ても異常だ。

食欲がなくなる

お腹は減る。ただアクションを起こすしんどさが食欲に勝ってしまうというのが正確な言い方だ。
食べるというアクションがしんどくなる。元来の怠け癖も手伝って調子がいいとき以外は自炊などできない。外にいれば普通に食べることはできるが、家にいるとどうも食べること自体がめんどくさくなる感じ。酷い時には2日でカップラーメン1杯とお菓子という時もあった。
はっきり言ってもの凄くお腹は減って辛いけど、それ以上に動きたくないのだ。
コンビニに行くのがしんどい、歩いて3分の距離にあるのに。カップラーメンを作るためにケトルのお湯を作りに行くのがしんどい。
だから無理して外に出て外食したりもする。外食ではたくさん食べる機会なのでケチらないようにしている。

風呂に入れなくなる

これも食欲と同じかもしれないけど、風呂については特にって感じ。
自宅にいるとあまりにも風呂に入れないのでわざわざ銭湯に行ったりしてる。
客観的に見たら意味不明だが、費用対効果はあると思っている。

自尊心が低くなる

自己肯定感が低いのは元からの性格もあるけど。
目に見えて何かがあると助長されてしまうよね。

人と会うのが辛くなる

人と会いたくなくなってくるのは鬱だからというより、目に見えてダメ人間になっているからだろう。
人と会うとやっぱり自分の話になったり比べられたりするけれど、自分の話はなるべくしたくないのであまり会いたくなくなる。そのかわり人見知りの気は少ないので初対面の人でこれからも会うことはないだろう人なら全然大丈夫。

急に悲しくなって涙が出てくる

ほんとうにささいなスイッチで悲しくなってしまう。たぶん自己肯定感が低いのが原因だと思う。
自尊心が低いと悪い方へ悪い方へと考えてしまいがちだ、それも自分が悪いからだと考えるようになる。
今は研究から離れた生活をしているのでこの症状はなくなったが、これから卒業のためには修論を書かないといけないので泣きながらパソコンに向かう事になるかもしれない。

ネットでの鬱症状と違う事

ネットで書かれるようなうつ症状とは明らかに違うところがあるので、まだましだと思う。
というか鬱ですらないかもしれない。

希死念慮はない

死にたくはならない。あることがあって親より先に自殺しちゃいけないと思ったので、絶対に死ぬもんかとは思う。
一番楽に死ぬにはどうするのかなとか考えることはあるけど実行しないし、普通の人もたまに考えない?
でもみんながSNSで言う「死にたい」レベルのことはしょっちゅう思う。

性格は変わらない

初対面の人の前だと普通にしゃべるし笑う。たぶんこんな状態になっているとは思われないと思う。
一人の時には気が沈みがちなんだけど、人と話していると気が晴れたりする。

楽しいことは楽しいと思える

楽しいことは楽しいと思える。もしかしたら正常だったらもっと色彩があるのかもしれないけど。主観的には特に(自称)鬱前後で変わりないかな。

頭は働く

人の話が理解できなくなるとか、文章が理解できなくなるとかという症状はない。
ただ研究に関してとなるとダメになる。今でもパソコンを開いてブログを書くことはできるけれどパワポを開くことはできない。本当になぜだろう。

鬱になった経緯や原因

個人情報はあまり出したくないが、今の自分に多少なりとも影響しそうなことは出していこうと思う。


今僕は大学院2年生(1度留年したので実質3年生)なのだけど、思うと卒論提出の時期(4年前の12月)あたりがその発端じゃないかと思う。
鬱になった原因は超端的に言うと、【高すぎる目標+ゴールの見えない研究テーマ+放置系研究室】にあるのかもしれない。他にも鬱を助長する原因はあるかもしれないが大きく言えばその3つ。
意欲ある大学院生が鬱になるというのはありがちらしいが、まあそれだ。
一括りにされるのもなんか嫌だが、それでしかない。

高すぎる目標

元々僕は研究職に就きたかった。学問は好きだったし、今でも学問が好きだ。高校生の頃はニュートンのような自分の発見が後世に語り継がれる存在を夢見ていたような奴だった。ノーベル賞というやつだ。
(後で書くかもしれないけどこんな今でも研究者の道を諦めるべきだという想いと、まだ道は残されているという想いの葛藤がある。)
余談になるけど一応就職活動は終わっていて、研究職でなくとも頭を使う仕事をしたいと思っていたのでそういう仕事にした。(研究職に応募したけれど落とされたというのもある。そりゃぁ論文も出さず留年してる院生を研究者として採ってくれるところはない)卒業できればの話だが。

話を戻すとそんなこんなで高校か中学のころから研究者を夢に掲げて生きてきたわけで、そのために人一倍頑張って東大にも入ることができた。自分の努力で最高学府に入れたという自負が尊大な自尊心を肥大化させたに違いない。
周囲の東大生に比べれば特別賢いわけでもなく平々凡々な東大生なわけだけど、進路振り分けではそれなりに頑張って希望の学科・研究室に配属が決まった。そのこともまた余計に自分は研究者になるんだという自負とプライドを高めたのだと思う。
そんなこんなで中高から順調に進んでいた僕は研究室に入れば認められる成果を上げなければいけないという高すぎる目標を抱くようになってしまった。
今思えば学部生や院生などそこまで大した研究ができるはずないのに。

放置系研究室

配属された研究室は噂には聞いていたけれどいわゆる放置系研究室というやつだった。
上から指示が降ってくることはなく、自らテーマを見つけゴールを設定し自分で進めていくタイプだ。
強制されるのは全体の定例会に参加することと、定例会の中で年に4、5回ある自分の番で進捗報告と質疑応答をすることだった。
(ただ定例会で自分の番の時は、1,2か月分の成果を求められるので結構プレッシャーがあり緊張する。)

調べてみると拘束時間の多いブラック研究室と並んで放置系研究室も脱落者(うつ病)が多いらしい。放置系ブラックと呼ばれている。

ただ、今でも放置系研究室が悪いとは思わない。そこでもそれなりのことをしてきたOBたちはいるし、向き不向きの問題なんだと思う。自分はそのタイプに向いていなかっただけだ。
放置されて研究できないというのは、つまり研究者に向いていないということだ。受け入れがたい事実だったけれど事実なのだから仕方ない。
幸い性格の悪い先輩や先生はいなかったので、研究室に恨みはない。申し訳なさしかない。

ゴールの見えない研究テーマ

この研究室ではテーマを自分で選ぶわけだけれど、ざっくりとした分野は決めていたので問題なかったが深く勉強していなかった。
やりたかったことはすでに研究しつくされていて、ゴールを設定するのが難しかった。自分の能力的にも分野的にもいわゆる新規性を出すというところが難しかった。
その上、さっきも言ったようになにか壮大なことをしようとしすぎていた。
おかげで先輩に相談に乗ってもらっても自分でも考えがまとまらなかったしやってることが少し違うため的確なアドバイスをもらうことができなかった。どこかで高すぎるプライドと現実との折り合いをつけるべきだった。

学部生では手を動かす作業をする前に論文を読んでテーマを選んでは2か月に1回の進捗報告でダメ出しを頂いてテーマを模索し直す日々だった。卒論ではゴミのようなものを提出したが、完全に心が折れていた。
大した成果を出せない自分と成果を出さないといけないという理想の自分にギャップがありすぎたこと、論文を漁ってはテーマ設定のやり直しを繰り返すあまりどう足掻いてもだめなんじゃないかという学習性無気力の状態、がストレスとなり鬱を芽生えさせたのだと思う。

一人暮らし

実家は東京ではないので、東京で一人暮らしをしている。
一人暮らしは本当によくない。一人暮らし+放置研究室というのは特にダメだ。
いつ行ってもいいしいつ帰ってもいい。特に決まりはないし定例会にさえ参加できていればいい。
成果を出せない(手を動かさない)状態でいると周囲からの目も気になってきて、定例会で報告することはもちろん普段から研究室に顔を出すことすら気が引けてくる。特に行かなくても怒られないので自然に行かなくなってしまう。
一人暮らしでいると家にいても誰からも何も言われないので自然に研究室から足が遠のくことになる。
そうなると余計に成果が出せなくなってしまう。
成果が出せなくなり、足が遠のき、また成果が出せなくなるという悪循環に陥りうつ病が加速していく。
特にうつ病になると何かアクションを起こすことが病的に困難になるため誰の手も借りれない一人暮らしだとこのスパイラルから抜け出すことができなくなってしまう。




文章としてまとまりのないものになってしまったなぁ
院生以降のことや研究室に行かなくなったこともいずれ書くかもしれない。

自己紹介

もう限界が近いかもしれない。

ブログのタイトル通りだけれど、僕はおそらくうつ病の東大の大学院生だ。
"おそらく"というのは病院には行ってはっきり診断されたわけではないからだ。でも明らかに正常ではない。
そう思う理由もちゃんとあって、別に書こうと思うが例えば集中力の低下・食欲の低下なんかがある。
幸い死にたいと思うこと(希死念慮)はないけど、このままだとどうなるか自分でもわからない。学校にもほとんど行けていない。


このブログを書こうと思った理由は、一つはどうせパソコンを開いても(研究に関することは)やる気が起きないしどうせ時間を無駄にするくらいならブログでも書こうと思ったからだ。多少なりとも自分の心の整理をするつもりで書く。
やる気が起きないと聞くと単純に怠け者だとか思うかもしれないけれど、病的にやる気がおきないから仕方ない。
うつ病を経験した人ならわかるかもしれないが、頭ではやらないといけないとわかっているし焦りも人一倍あるのに思考停止してしまう。もう自分の体ではどうすることもできないレベルで。自分でも試行錯誤してみたしそれについてもいずれ書こうと思う。

もう一つ大きな理由は、仮に正常に治った時にこの感覚というのを未来の自分と共有したいから、あるいはさらに重症化して自殺したくなった時その場で長ったらしく遺書を書く手間が省けるからだ。そのために自分について考えたことや今の状態についてつらつら記録するつもりで書く。
たぶん正常に戻れば今の感覚は忘れてしまうだろうし、なんであの時はあんな馬鹿なことをしていたんだろうとか鬱なんてただの甘えだったなとか思うのをやめたい。それに今は何が正常で何が異常か判断がつかない状態にあるからうつ状態の人や健常な人の目に触れてもらいたいというのもある。
仮に自殺願望が出てきて実行に移すとなった時にもブログがあると便利だ。一言だけの遺書で遺された人にわだかまりを残すより、経緯なんかを詳しく見てもらえれば幾分かましだろう。


このブログにたどり着いた人は何を見たくて辿り着いたのか知らない、同じ境遇の人なのかもしれないし、身近な人が鬱状態なのかもしれない、ただのエンターテイメントとして野次馬的に見てるのかもしれないし、底辺の人を見て優越感を得るために見るのかもしれない。
まあなんでも構わない。自分は自分のために書くつもりで自分について想ったことを書いていく。
このブログはうつ状態の間書き続けるかもしれないし、書き続けないかもしれない。それもわからない。



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